私の恥ずかしい過去の話
はじめまして。
SEアカデミーグループ(SEラボ含む)代表の端無(ハナシ)と申します。
現在、私は市川市と船橋市にて学習塾、予備校を営んでいます。
これまで、地元の生徒800名以上と出会い、
10年間失敗、涙、感動、感激を繰り返してきました。
常識にとらわれない指導法で、教え子たちは
「5カ月で偏差値20アップ」
「半年足らずで偏差値40台から偏差値60以上に上がる」
という生徒が続出しています。
これら多くの実績が評価され、
加盟していた全国に600教室ある早稲田育英ゼミナールを
代表するモデル教室に指定されました。
全国から多くの教室長やプロ講師が見学にこられました。
首都圏のアドバイザーとしても、日々奮闘しておりました。
塾長となってからは、子供たちが自信を取り戻し、
受験を乗り越え成長していく姿が、何よりの喜びです。
ところで、わが子を預ける塾選びとなると、少し不安になったり、
迷ってしまうことはないでしょうか?
「本当に信頼できる塾かしら?」
「成績はあがるのかしら?」
「面倒見良く対応してくれるのかしら」
などと考えていると、いろいろと心配ごとが出てきます。
このような不安を少しでも解消できるように、
代表の私がどのような人間で、
どのような思いで今の塾を創りあげてきたかをお話ししたいと思います。
いまでこそ教育者として、生徒達を指導する立場にいますが、
実は子ども時代は悲惨な成績の落ちこぼれでした。
少しだけお付き合いください。
小学校では誰もが認める「問題児」
ヒョウキンで、
イタズラ好きの父の遺伝?なのかもしれませんが、
学校の中に限らず、通学途中、
近所と場所を選ばずイタズラを繰り返していました。
ある日、こんなことがありました。
現在でも当然ですが、下校途中の寄り道は禁止されていました。
にもかかわらず、他人の畑に侵入し、
大根をかたっぱしから抜いて遊んでしまいました。
当然翌日学校に連絡が入り、朝の集会にてこっぴどく叱られました。
このようにして毎日ありとあらゆるイタズラを繰り返し、
学校では有名な問題児となっていました。
悲惨な成績の中学時代
イタズラ三昧の小学校生活を終え、地元中学に入学しました。
皆様のお子さんも同じだと思いますが、
中学生になった頃から思春期が始まり、
結果周囲の目が気になる様になり、
小学生時代のようなイタズラは無くなりました。
しかし部活動、友達との遊びに明け暮れる毎日でしたので、
当然学校の成績は体育をのぞいて2か3という悲惨な状況でした。
特に英語はひどく、3年間のほとんどが2でした。
担任からも見捨てられ、受験にも惨敗・・
中3になってからのことですが、
学校で様々な職業について調べる授業がありました。
一人一人が決められた職業の中から選択し、発表するのですが、
あまり積極的ではない私は、
迷っている間に勝手に先生に決められてしまったのです。
その職業とはアルバイト、いわゆるフリーターのようなものでした。
とても望んでいる職種ではなかったため、
先生が私の将来について、全く期待していないと思ってしまいました。
この時非常にショックを受けたことを鮮明に覚えています。
大きな問題は起こさないが、
勉強はできない、
積極性もなく、
授業態度も良いとは言えない状況でしたので、
このような指示を受けたのではないでしょうか。
中3生になってからも自宅で勉強した記憶がないのですが、
母親に確認してもやはり勉強はしておらず、
気苦労が絶えなかったようです。
受験直前になりテキストを開くことはありましたが、
当然長くは続かず、受験勉強の仕方もわからないまま、
成績も伸びず納得できる受験は出来ませんでした。
変わり始めた成績
結局、高校は地元の私立高に進学しました。
当然公立よりも授業料が高額です。
学費にびっくりした私は、
子供心に両親への負担を気にするようになりました。
その結果、いくつか勉強に対する取り組み方が変わりました。
1.授業は寝ないで聞く。
2.テスト対策をやってみる
今考えると当たり前のことですが、
取り組み方を変えたことにより、
少しずつ成績が上がっていきました。
自分が変わると周りも変わる
成績が上がり始めると、周りの目が変わっていくものです。
「端無は頭がいい」
と同級生が勝手に勘違いし始めたのです。(笑)
人間はおかしなもので、
認められると評判を落としたくないといった力が働き、
もっと頑張るようになります。
更には先生からも褒められるようになりました。
小、中学生時代には叱られたことは沢山ありましたが、
勉強で褒められる経験はなかったので、
余計にやる気が出てきました。
母親も例外なく変わっていきました。
小学校時代は問題児でしたので、
肩身の狭い思いをしたと思いますが、
高校の先生からの評価が高く母親も随分安心したようでした。
勉強はすればするほど上がることに気が付き、
高3になるころにはクラスでも
トップクラスの成績を取る様になっていました。
この様にして、
やれば出来るんだということを学ぶことができ、
随分と自信を持てるようになりました。
この経験が、教育者として子どもたちを指導するときにとても役立ちました。
サラリーマンになりきれず
その後、順調に進学し、
希望通りに大手自動車メーカーのエンジニアとして就職。
ですが、ここからが本当の紆余曲折の人生の始まりでした。
まず就職先でつまずきました。
仕事の内容に不満があったわけではないのですが、
「自分はサラリーマンに向いていない」
そんな違和感が溜まっていました。
そして、あるとき上司に言われた言葉でそれは決定的となりました。
その言葉は“いい子ちゃんになるな”でした。
その意味は、
「他部署の仕事のお手伝いをしないで、自分の仕事だけをしていなさい。」
ということです。
自分にゆとりがあったため、
少しお手伝いしていたのですが、
それを上司に否定されたのです。
この上司からの一言をきっかけに、
自分が居るべき場所ではないと感じ、退職することを決意しました。
今思えば、若気の至りや、社会人として甘さもあったのですが、
その当時は
「会社では、優しさや、助け合いの精神が否定されるのか」
そんな憤りでいっぱいでした。
新たな道、辛く大変な修業生活
サラリーマンを辞めて会社を飛びだしたのですが、
特にやりたいことが決まっていたわけではありません。
とりあえず、今後のことを考えて、
今はお金を貯めようと決心しました。
そこで、学生時代にお世話になったアルバイト先の店長にお願いし、
居酒屋を開業するために修業することにしたのです。
朝から深夜まで続く労働・・・
4畳半に3人が寝泊まりする生活・・・
そんな過酷な生活を2年間経験して、
ハングリーでタフな精神を身につけていました。
このことが今の自分に大きく影響を与えることになりました。
修行を終えて、無事に自分のお店を開業しました。
良いお客様にも恵まれ、
お店は大繁盛し、経営はうまくいっていきました。
お金も相当儲けることができました。
出会いによって人生は変わる
ちょうどその頃、私の人生を変える出会いがありました。
私が教育の道を志すきっかけは、この居酒屋経営時代の、
あるジャーナリストの方との出会いです。
そのジャーナリストの方は、
私の居酒屋にお客さんとして来店していた方です。
来店のたびに、外国に関すること、
特に国際協力について色々と教えて頂きました。
話を聞くたびに、私のなかでは、
国際協力への関心は膨らんでいきました。
居酒屋経営はとても順調だったので、
それを捨てることに躊躇はありました。
ですが、
自分だけが成功すること、
お金を儲けることよりも、
自分がだれかに貢献できることの方が大事だと、
価値観が変わっていきました。
迷った末、最終的には居酒屋はたたみました。
すべてを捨てて、海外に飛び出す決断をしました。
NGOが主催するツアーへの参加、
発展途上の国の問題を自分の目で見て回る日々に身を投じたのです。
教育の道を志したきっかけ
不思議なもので、
海外で生活していると、
客観的に祖国日本を見つめることができます。
海外の子供達と接した時に感じたことがいくつかあります。
・発展途上国の子供達の目は輝きを放っている
・子供達はそれぞれ夢を持っている。
・日々努力し、学校に行けること自体に喜び、感謝している。
・打たれ強く、へこたれない。
発展途上国の子供達に出会う度に、
このようなことを強く感じました。
そのたびに、日本の子どもたちはどうなんだろう、
そんな思いが胸をよぎりました。
日本はとても豊かな国になりましたが、
豊かにになったからこそ失ってしまっものも多いように思います。
残念ながら日本の子供たちの中に、
発展途上国で出会ったような子供たちは少ないように思いました。
将来を担う日本の子どもたちは大丈夫だろうか、
そんな心配が膨らんでいきました。
日本に帰国してからは、
その思いはますます強くなる一方に・・・。
教育関係の仕事を始めることを決意したのは、
このままでは日本が危ない、
何とかするには、
教育から変えていくしかない、
そう思い至ったからです。
想像以上に低下していた学力・・・
その第一歩として、
まずは地元・船橋市に塾を開校しました。
まず驚いたことは、
地元の子供達の学力が非常に低下していたとことでした。
ゆとり教育の影響がここまで顕著に出ているとは驚きました。
これは、実際には地域によって傾向が異なります。
たとえば、お住まいとして人気のある地域は事情が違います。
新浦安、市川市のJR沿線などの子供たちは、
中学受験するご家庭も多いため、極端に学力が高くなっています。
まさに、学力格差が深刻化しているのです。
「自信がない」「やる気がない」「どうせ無理」
勉強が苦手なお子さんの多くは、
自分に自信がなく、
モチベーションが低く、
ネガティブな傾向があります。
残念ながらこのような生徒が沢山いらっしゃいます。
前向きに変わっていく子供達!!
学習面での自信は、成功体験をさせてあげることです。★
簡単に言えば、テストの点を目に見えて上げることです。
この経験を繰り返すことにより、
やれば出来ることを実感し、自信がついていきます。
自信がつくと、
志望校、自分の将来に対して積極的に考えるようになります。
成績が絶対上げる仕組みを確立!!
私達は、
“やればできる”
このことを実証するために日々試行錯誤、
改善を進めてきました。
成績を短期間で急激に上げるためには、
多くの仕掛けや、仕組みが必要となりますし、★
生徒一人一人によって対応を変える必要もあります。★
その結果
普通の塾は必要ない!!
まず当塾は普通の塾ではありません。
どこにでもある普通の塾であれば、
私がわざわざ塾を運営する必要もなく、
地域の方々のお役に立てないからです。
なぜ普通の塾ではないかと言いますと、
塾の常識を破り続けているからです。
塾の常識を破ることにより、
驚くほど短期間で成績を上げることができ、
生徒達もドンドン輝き始めます。
激変する成績!!
常識にとらわれない塾ですので、
成績も常識破りな伸び方をする子が続出しています。
・入塾4か月で数学偏差値16UP!!
・中3から入塾した四中のW.Sさん
・1カ月で理科偏差値14UP!!
・中3から入塾した行田中のI.T君
・3教科が半年で59→67!!
・中3から入塾した行田中のS.Aさん
・5か月で数学偏差値19UP!!
・中3生の行田中のT.K君
・入塾2カ月で5教科定期テスト100点UP!!
・中3から入塾した法田中A.Yさん
これらはほんの1例ですし、特別なことではありません。
普通のお子さんがトップ校に合格しているのが当塾の常識です。
ですが私の本音は
学力の偏差値だけでなく、
心の偏差値も上げたい!!
私の本音を申しますと、
学力と同等に心の教育が大切だと考えています。
健全な精神があってこそ、
身に付けた能力は世の中で生かされ
社会に貢献することができると信じているからです。
教育者としての使命
私の大きな課題の一つが、心の教育です。
この課題に最近ようやく取り組める状況になりつつあります。
「コーチングを用いた指導」
「自己啓発教育」
「ボランティア活動」
「長野ワークキャンプ」・・・。
こういった活動や取組により、
子供たちが自分の可能性を信じ、
よりよい社会を構築する次世代の担い手となることを
サポートしていきたいと強く願っています。
一緒にがんばりましょう!
私達は、お子様の成績を伸ばし、
自信を取りもどすための指導をお約束いたします。
子供たちを育てることは非常に難しく、
時間も労力もかかります。
ですが、子供たちを信じて、
皆様と共に頑張っていきたいと思います。
ここまで長々とお付き合いいただき、
本当にありがとうございます。
お子様と一緒にお会いできるのを楽しみにしています。
塾長 端無 勝